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ほんとのこととか作り事とかいろいろ書いています。
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ブログ自体が大掛かりな箇条書きじゃないかという説は横に置いて。
  • 新聞の読者の投書を読んでたら、どう考えてもAさんとしか思えない投稿があった。苗字は一致しているが、Aさんの下の名前を私は知らない。今度会った時に聞いてみたいな。
  • 大事に思っていた人とネット上で会話することができた。まるで、背中を向けて歩き出したひとと、地球を半周して出会えたみたいな嬉しさだった。
  • PCに向かっている私の背中を見るのは寂しいと家族は言うが、じゃあ、正月の3日間、ひとりでぽつんと居間に座って好きでもないTVを眺めたり本を読んでたりした私はどうだったんだろう?
  • 体罰を加えた教師に、過去の選手育成や試合の結果などの実績を報告していただきたい。体罰を加えていなかった学校とどのくらい差があるのか比べ、明らかに成果があったなら体罰を批判するのをやめておく。同時に、体罰を受けたおかげで成長できたと言う選手に尋ねたい。「君は、叩かれないと本気で動けないのか?」。体罰は相手を侮辱する行為であり、それを受けて「成長した」だの「感謝している」だのと思うなんて、自尊心のないただの甘えた人間だとしか思えない。もしくは、部活動という閉鎖された空気の中で生まれたストックホルム症候群に似た狂気の被害者。他人に脅されて動くのではなく、自分で考え、自分を管理し、そうやって良いプレーを生み出せるような選手こそが名プレーヤーに成長するのでないのかな。
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2年半ぶりに? HPの修復をしました。
infoseekから引っ越してきたときにいい加減なことをしていたので、表示されないページがありましたが、そのままにしていました。(こら
ここのレンタルサーバーは、1ヶ月更新しないと大きな画像の広告が挿入されてしまうので、フレームの中身が見えなくなってしまい、いよいよまずいぞと・・・腰を上げたわけではぁどっこいしょ。
で、1箇所だけflashが表示できないページが残ってしまったのですが、原因不明でそのままです。(まあいいか
ま、こんな感じで相変わらずテキトーですが今年もよろしくお願いいたします。
円城塔にイカれちゃったことは先日ここに書いたけど、そのつながりで今日は伊藤 計劃を読みたくなってジュンク堂へ。
ほんとうは、円城塔(と伊藤 計劃)の最新刊の『屍者の帝国』を買おうと思ってたんだけど、いつもの癖でまっすぐその本にてをのばせなかった。
ハヤカワ文庫の棚に行き、五十音順を目で追う。あった。円城のすぐそばに。
『The Indefference engine』と『ハーモニー』のどちらを選ぶか5分間悩んだ末、後者に決定。
仕事帰りの電車で読み始めたのだが、これはすごい。
おもしろい。円城塔よりもクールで、そして、なんて悲しい。
早く亡くなった伊藤氏が、その短い執筆の期間にどれだけ濃縮された世界を吐き出したのか、考えるとめまいがしそうなくらい。そしてこのひとの新しい作品をもう読めないんだと思うと、涙があふれてきてしまう。
今日会ったばかりなのに。

 
 
「TVを明るくして部屋から離れてご覧ください」
 
 
 
 
 
 
 
人の本音が見えてしまう青年・愛と、本音むき出して生きてきたヒロイン・純が主人公の朝ドラ。
シリーズ開始直後は、自分の正論を押し付けてくる純に気持ち良さもちょっぴりはあったが、同時にその何倍もの不快を感じてしまい、「朝からこんなの見るのは嫌だ」とさえ思っていた。朝日新聞のドラマ評でも同じように、不快だとか、視る人がいなくなりますよみたいなきつい言葉を並べられていて、「やっぱりねー」とそのときは思った。
だが、このドラマ評、ちょっと早かったと思う。その後もドラマを見続けていると、その最初の数々のエピソードが、いつもの朝ドラにある「こんなこともあったべな」ではなく、これから始まる物語の前置きであることがわかってきた。つまり、今回の朝ドラは、単純にヒロインの人生を物語るいままでの朝ドラとはちょっと違う、人間関係というものについて考えさせられるドラマなのだ。
純はまっすぐに夢を追い、間違っているものには間違っているとはっきりと言い、困っている人を見過ごすことができない。そのために周囲と摩擦を起こしたり、自分を窮地に追い込んでしまったりしている。そして愛は、人の本音が見えてしまうせいで、街を歩くときも人の顔が見られずいつもうつむいている。この2人を「迷惑な人とかわいそうな人」と単純に見てしまったら、先のテレビ評のように不快でつまらないドラマになってしまう。いまこのドラマをつまらなく視ている人、または視るのをすでにやめちゃった人は、この2人についてきちんと考えてみると良いと思う。まっすぐに他人と取っ組み合う純も、他人との接触が困難な愛も、違うタイプでありながらも同じように人間関係について深く悩んでいるのだ。そしてこのドラマはこの2人を通して、人と関わる事について深く考えさせられるドラマである。
今日の放送では、今迄他人の本音を目にして悲しみ、怒り、諦めてきた愛が、他人を罵り傷つける、今まで表に出さなかった反面を見せた。他人の裏の顔の醜さを嘆いてきた愛にも、裏の顔があったのである。ここで私は、今迄愛が目をそらそうとして、苦しみ逃げ回っていたものは、他人の裏の顔ではなく、自分自身が内面に持っている自分の醜さなのだと思った。内面の醜さは、彼だけが持っているものではない。彼が純以外の人間に必ず見てしまう裏の顔は、ドラマを見ている私にも、誰にでもあるわけで、これはもう他人事ではないのである。
気がついてしまったこれから先、私は彼らと一緒に迷いながら笑顔を探す旅に出ることになる。他人と真摯に向き合い、そして互いが満足できる関係を作るにはどうすればいいのか。それは途方もなく大きなテーマで、それを彼らはどのようにして解決してくれるのか、私はとても楽しみである。純と愛の2人共が納得して笑える結末を迎えることができたら、そのとき私は心から脚本家に喝采を送りたいと思う。
自宅マンションの玄関手前15mくらいのところに、鉄のマンホールがある。ごく普通の。
だけどちょっと普通じゃないところがある。
なにかというと、「夜いつも見張りがいる」ことである。

ふたがゆるくて落ちるんですか?
って今思ったでしょ。

だけどちがうんだな。
人じゃないの。見張りって。

そいつはいつも、マンホールから30cmほど離れてじっと立っている。
立っている?というのかな 基本四つん這い、ならぬ六つんばいなんだけど。
そしてたまに車にひき殺されてたりもする。
ひき殺されてるってことは、そこにじっとして立ってたってことでしょね。
そして、・・・次の日また違うやつが立ってる。何でか分らないけどとにかくそこに1匹いる。

私はそのマンホールを見るたびに、うずうずわくわくしてしまう。
やってみたい。どうなるか試してみたい。
なにをって

まず、マンホールの小さい穴を全部ガムテープでふさぐ。
つぎに、任意の1箇所のガムテープに小さい穴を開け、ゴキブリ殺虫剤の長いノズルを突っ込む。
そして、 シュー!
更に、走って遠くに逃げる!

きっと、このマンホールにつながってる下水管のあちこちの出口から、何百匹ものゴキが飛び出してくるに違いない!

あまりにおぞましいからやらないけどね。

ふう。。。。
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