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ほんとのこととか作り事とかいろいろ書いています。
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夕鶴とか鶴女房とかいう話は、たぶんご存じないかたの方が少ないと思われる。
あの話、もしも男が女房の言いつけを守って、機織部屋をのぞかなかったらどうなっていただろう?なんて思った人はいないだろうか。
本当の姿を見ることなく、はげちょろになって疲れた鶴をこき使うことなく大事にしていれば、その先も、鶴と男は幸せな夫婦でいられたのではないだろうか。

男の失敗の始まりは、疲れた表情を見せる嫁に機を織らせ続けたこと。そしてダメ押しは、けなげな嫁の頼みを無視した覗き見である。
本当にこの男は鶴を愛していたのだろうかと一瞬疑ったりする。
愛しているから甘えや疑いが出てきたんだよっていう説もあるだろうけど、さてそれは愛なのかどうか。
馴れ合いによって、ヒトの本性がむき出しになっちゃっただけなのではないだろうか。
川面に映った犬のくわえた肉を見て、欲を出して吠えたら自分の口にくわえた肉を落としちゃったというイソップ童話があるが、私は夕鶴の結末にこの教訓をかぶせたくて仕方がない。

ネット上で遊ぶ人々には二種類いる。
リアルとネットに壁を作らず同一平面上として自由に往来する人と、リアルとネットを隔離して、絶対に各々の場所で反対側にいる自分を悟られまいとする人である。
しかし、それらの人々は、目的が違うにもかかわらず同じ場所に混在するので、会う・会わないで不満が生じることがある。

 #ミクシーなんか、いまは「読み逃げはずるい」とかのレベルの揉め事が話題になるくらいで済んでいるが、そのうち「こんなにコメント付け合ってるのに何で会ってくれないの」みたいな揉め事もでてくるんじゃないだろうか。勝手にやってろってことでそれはおいといて。

あるサイトで目だって人気を得ている人がいるとしよう。
彼女はエンターティナー的存在でいることをその場所に求めていて、それ以上の人との出会いは、相手の性別に関わらず求めていない。
ただ自分で好きなように発言をして楽しみ、それが人を楽しませ、そのおかげで自然と人気がわいて出て、詳細不明であるにもかかわらず看板キャラになったとしよう。
見るひとによっては彼女は10代のお茶目さんであり、30前後の独身お局美人であり、50前後の家付き娘であり、たぶん彼女のイメージはは見る人が抱く夢と同じに変化し、それぞれの心の中で不祥な部分が補完され完璧な形に作りあげられているのだと思う。
だけど、いや、だからというべきかも知れないが、彼女はますます自分のリアルをネットの人の前でさらけ出すことが出来なくなってしまった。

彼女は普段はごく普通の家庭で生活し、普通のOLをし、さほど高くない賃金をもらい、ユニクロの服を着て生活している。
キーボードは文字が擦り切れて薄汚れているし、モニターの横のお菓子の空き缶には、短くなった鉛筆が数本、そして手元にあるメモ紙は裏に何かの印刷があるコピー用紙であったりする。
五体は満足だが、TVや雑誌で見るようなぴちぴちしたカワイコちゃんでもダイナマイトボディの色っぽいお姉さんでもなく、すれ違っても何も印象に残らない、ATMの前の行列に隣り合わせても観察する気にもならない、そんなビジュアル性皆無の一人の人間。
会話はいつもしどろもどろで冴えない事務員さん。
だけど、家に帰ってPCの前に座れば、言葉や顔文字を自由に操り注目を浴びる。

どんなに会いたいと言われても、
現実とのギャップが激しくてもいいからと言われても、
会えるわけがないじゃないか。

相手がどんなにそのネットキャラを愛し、大切にしていても、またどんな現実でも受け入れる許容力があったとしても、口が堅く誰にも真実を口外しないとしても、
事実を晒すことは、カリスマの終焉であり、長年のネット滞在の間に触れた人々によって作り上げられたネットキャラの放棄であり、そして、匿名でのネット遊びに終止符を打つことを示唆している。

鶴は、覗かれなければ男と一緒にその後も生活しただろう。

#実際には子を産めない嫁だから、そのあたりでそのうち問題がでてきたかもしれない。今と違って昔は、子どもを持つことは、労働力と老後の支えを得ることでもあっただろうから。

ネットキャラは、実態を晒さなければ、ずっとその世界で、見る人々の希望を映した姿で生き続ける。

#そのうち、10年たってもまだ20代なわけがないというツッコミが古いファンから入るようにもなるのだが。


鶴は見なけりゃ出て行かない。
肉は吠えなきゃ落とさない。
雉も鳴かずば撃たれまい。



結構教訓がいっぱいな昔話である。


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減少の描くシュプール (w



すみません。
忙しいのとむかつくことが多くてPCの前に座らないのと
まあいろいろあって、更新が遅れています。
ネタは色々思いつくのに、全部つかみ損ねた素麺のように流れて行ってしまいます。

きのうの夜、お風呂上りにドラえもん後日談として、しずかちゃんメインの話を思いついたのに、家族と3日ほど前から喧嘩してまして、そのうえ家中の模様替え(まだ途中)後、そいつと同じ部屋で向かい合わせにPCを置いてしまってて、まぁそうですそんなところです。顔を見るのもやだからPCも見れないというアーウー・・・・。

乗ってなきゃかけないという未熟者なので今書くこともできず。
やっぱしモノカキって、ゆっくり鄙びた旅館にでもこもらなきゃむり。(大そうな

とりあえず手持ちのホームワークをやっつけてからしか。

今日仕上げられたら今夜と明日はネットできる。顔見えるけど我慢して。
だけど今日仕上げなきゃ今夜もネットできない。顔見えるのと関係なく。
ということはとりあえず今仕事しろヨか・・・。

ではまた@



今日は「トリツカレ男」を読み終えた。
薄い文庫本だが、なんせ片道10分かからない徒歩通勤の際に歩きながら読んでいるのでなかなか終わらなかった。

いしいしんじは童話のような小説を書く。
いや。。これって童話かもしれない。
たぶん、小学校高学年の子に読ませてもよいと思う。
ココロに柔らかく触れる、しかしあつかましく訴えたりなんかしない話を書く。
前に読んだのは「プランコ乗り」で、これが大層気に入って「トリツカレ男」を買ったわけだ。

とんでもない嘘話のようなストーリーはやっぱり童話か御伽噺だ。
高橋源一郎のぶっ飛びが若き日の八千草薫になったような(なんだそりゃ)魅力的な話ばかりだ。


明日からまた忙しくなる。

コビト、出てきて更新してくれ。。。。

と書きながら、実はごく狭い局地的な話題だったりする。ごめん。

1.会社のゴミ分別が始まって、デスク横のゴミ箱が撤去されてしまった。
お菓子を食べてはポイというわけにいかなくなった。
眠いときにガムをかむのにも決心が要る。
「燃えるゴミ」なのか「食品ゴミ」なのか悩んでしまったりする。
結局小さなゴミは持って帰ってしまう。。。

2.10日以上前に家の中のの模様替えをし、家具や荷物をあっちこっちしたせいで、収納しきれなくなった「お宝ゴミ」(今作った言葉です。意味は、「値打ちがある。まだ使う機会がある」と信じて残しいるけど、実際はもう使わないいらないごみ)が大量に出た。重すぎて捨てきれず、まだ廊下にある。




話は全然別だけど、ペットボトル再生品の台所の水きりネット、使った後燃えるゴミに捨てるじゃん?
ペットボトルって燃やさないゴミなのになんで?
本日朝日新聞に掲載の大江健三郎氏のコラム『定義集』の副題である。

社会科の教科書検定で、二次大戦中の沖縄の「集団自決」についての記述の中から「日本軍によって強制された」という部分が取り去らされた(難しい日本語ですね)。
正確に書くと、

文部科学省は(これが主語)
06年度教科書検定で
日本史の教科書から
集団自決が「日本軍によって強制された」という記述を
取り去らせた。

である。

沖縄戦は戦争中の出来事の中でも、最も忌々しく恐ろしい出来事のなかのひとつで、このようなことは今後、誰の手によっても行われてはならないことだ。

なのになんで文部省はその部分を取り去らせたのか。

見たくないものに蓋をかぶせても中身は消えてなくならない。
引田天功にもMr.マリックにも、この事実は消せない。
謝っても嘆いても隠しても、死んだ人の死んだ理由は変わらない。

教科書のその部分はどう変わったかというと、集団自決の記述だけは残ったらしい。

~住民が「集団自決に追いやられた」。

と、そのときの状況の記述の違いはあれ、ほぼ一律にそういう書き方になり、そして誰が自決に追いやったかは書かれていないらしい。

小論の添削なら「誰が追いやったのか不明瞭です」と突っ込むところだ。
教科書の記述として適した表現ではないが、この史実をもみ消そうとする文部科学省への小さな抵抗のように、指示者を明記しない集団自決についての記述が残された。
大江氏は、この部分を社会科教師にはちゃんと見て気が付いてもらいたいと言っている。
「集団自決した」のではなく、「集団自決させられた」のだということを、きちんと子どもに伝えろと言うことだろう。


「筆談」という会話の手段がある。
近くにいる人の悪口を言う時とか、会議中に隣の人に「だるいなこの不毛な会議」と愚痴をこぼすときとか・・・。
口で言えないから書いて伝える。
それなら逆に、書かせてもらえない連絡事項は、口で言えばいい。
教科書に印刷できなかったことは、人の口で伝えてほしい。


日本史の授業の現代に近い部分は、いつも3学期のドタバタに紛れ、また政治的にうやむやに書かれていたり、一般常識で片付けられたりして、しっかり教えられないような気がする。
あれ?これって世界史を選択した子どもは習わないのか?
それってまずいよ?
日本史は必修にすべき。
自分の国の歴史を知らないなんておかしい。
日本の歴史に鈍感になっちゃいけないし、何かに丸め込まれてもいけない。小さな島国の敗戦国日本が、なぜ日本であり続けているのかも含めて、2次大戦前後の日本について、みんなもっとよく考えて生きるべきなのである。
始めにお断りします。
私の実験では何も起こりませんでしたが
体によくないものが発散してるかもしれません。
燃えることがあるかもしれません。
真似する人は、自分で責任持ってね。
私は勧めません。
事実に基づいた結果を書くだけー。


「乾燥剤を乾燥させる」

1.ピアノ用シリカゲル500g入り。

シリカゲルのみで構成されているようなのでやってみることに。
防虫剤とか防錆剤とかが入っているならやめた方がいいと思います。
確実に薬品の成分が発散する。だろう。

袋には500gと書いてあるが、1年間使用し、半年クロゼットに放置していたため、重量は600gになってました。
100ccの水がここに・・・。

電子レンジ(500W)で2分加熱して出し、換気扇の前で振って蒸気を放つ。これを5回くらい繰り返した。
レンジにかけてると、皿と袋の間に発散した蒸気が水滴になって溜まるので、ハンドタオルを2つ折りにして敷いた上に袋を乗せた。
取り出して振るときには、タオルも取り出して広げて湿気を飛ばす。
繰り返して、振ったときに目に見えて蒸気が出なくなると、最後に下が蒸れないように、凹凸のある場所か網の上に乾いたタオルをしき、その上に置いて冷ます。キッチンを暗くしておけば発散する蒸気がよく見える。

冷めた物を量ったら520gにまで重量が減っていたので「この辺で勘弁してやろう」。
よく冷まして箪笥へ。


2.箪笥引き出し用 シート状シリカゲル

ATMのカードくらいの面積に仕切ってシート状にパックされたシリカゲルもやってみる。
着物の引き出しで長年使っていて、天日に干すと何度でも使えますと印刷してある。

シリカゲルの量はわからないが、280gからスタート。
これもレンジで。1分半くらいから蒸気が出始める。2分で取り出し、振る。目に見える蒸気はない。つまんない。が、箪笥の木のニオイが放出され、相当臭い。
洗いたい。(だめです。)

これは期待はずれで3回繰り返して260gまで減ったところでやめた。


ちなみに、
ひたすらレンジで蒸発させる方法も考えましたが、
3分レンジすると袋がふにゃふにゃになったので、連続加熱は2分でやめておいた方がよさそうです。不織布にビニルコーティングしたみたいなものだから、そりゃ100℃の蒸気を出せば溶ける。

つまり、袋から出してチンするか、鍋で炒るといいのかもしれない。


シリカゲルに毒性は・・・「食べても無害ですが食べられません」って書いてあるから大丈夫だろうと勝手に判断してます。
加熱については何も書いてないけどね。


次にゼオライトで出来たピアノ乾燥剤を・・・
700gの表示だが810gある。
この中身は、観葉を植えるときに混ぜたり、金魚やメダカの水槽の底砂にしている。枯れたり死んだりしてないから、薬物は配合されていないと勝手に判断。
しかしこれは、粗いガーゼみたいな布をはさんだ紙にコーティングされた袋で、加熱にどれだけ耐えるかわからない。
3分チンしてみたが、シリカゲルほど熱くならない。

なんだか飽きてきたのと、袋がごつくてうまく蒸発してくれるとは思えないのでやめ。


よい子はまねしないでくださいね。
私はまたやるけど。(笑



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