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ほんとのこととか作り事とかいろいろ書いています。
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阪急の回数カードの磁気が飛んで再発行してもらった。
実は3日前にも土日回数カードの磁気を飛ばしている。

なんで?って言ったら「たぶんカバンの磁石に触れたんじゃない?」とかいう返事が返ってくるのはわかってるけど不思議なのである。
だって、
ケースには外側から順に、近鉄、JR、阪急、PiTaPaの順に入れることにしていて、近鉄とJRは重ねて入れることが多い。
土日は近鉄と阪急の回数カードを他のケースから出して入れかえる。

めんどくさそう?
いや、こうしないと改札前でドレ?って探さなくちゃならなってもっとめんどくなる。

いや、言いたいのは面倒かどうかじゃなくて、阪急の回数カードはケースの内側にあるのに、なんで飛ぶのは毎回阪急のカードだけなの?って事。
スマホケースに入れたりもしてないし、カバンの磁石に触れたなら、他のも飛ぶんじゃ…?
磁気が弱いとか、上品だから手荒に扱うとだめとか?
手荒にしてないけど!


さて。朝からスマホでこの記事を送ろうとチマチマ打ってるんだけど、また磁気んじゃない事件が起きてしまった。

JR・近鉄の連絡改札でカード2枚を吸い込まれてしまった。
かっこ悪い。
毎日通す2枚なのに。

まあ今回は、ちょっと私も実験してみたようなところがあるので、
ははん。
って感じなんだけど。

この連絡改札、2枚挿すとチョー出てくるのが遅く、わたしはサッと改札から出れない。私もイラッとするが後ろの人もイライラしてるにちがいない。
なんか早い通し方ないかしらと、方向を揃えてみたり、色々試しているのだが、
ない。みんな一緒のもどかしさ。
今日のはまだ試してなかった重ね方「背中合わせ」を試してみたわけだ。そして結果は最悪の「通れない」だった。
吸い込まれるときにシュルシュルッって滑った感じがしたので、改札機的にあまりおいしく無い食べ方だったのだろう。

すみません・・・。一日に2回も改札機でエラー出しました。
最悪…。


さて。
オチがつかないままだらだら書いてしまっているけれど、だらだらしながら家に帰ってキャサリンにこの話をすると、即座にオチを付けられてしまった。

「ICカードと磁気カードをくっつけて入れていると、磁気が飛ぶんだよ」

あら。阪急電車の人もそんなことは言っていなかったのに。定期入れにどういう順番で入れていて、飛ぶのはいつも内側の阪急だけって話をしたのに、「カバンの磁石に知らないうちに触れてるとかが考えられますけどねー。」なんて感じだった。
だけど、PiTaPaと阪急を必ず隣り合わせて入れているので、キャサリンの言うことは間違っていない気がする。

キャサリンは、以前BEAMSのポイントカードが飛んだ時に、店員さんに指摘されたらしい。
クレカとくっつけてるとダメになりやすいって。
いままでそんなカードの収納、みんなやってるのにって気にしていなかったけど、こうやって1週間の間に2回も磁気を飛ばした人間としては、もう信じるしかない!
さすがBEAMSの店員さん!また買い物行くからね!いつも見るだけでごめんね!


ホントは一般常識なんだろうかと検索してみたが、あいにくヒットしなかった。
まあ、私も何年も回数券カードとかIC交通カードとか使ってるけど、最近になってこんな症状が初めて出たわけで、普通は起きないのかもなあ…。
それとも阪急とBEAMSは磁気飛びやすいんでしょうか(笑
っつかさー、理系の人とかICカードの仕組みちゃんと知ってる人とかから見ればジョーシキちゃうん?あほちゃうん?って話だったりしてネ恥ずかしい。

ってことでアホっぽくても本日のオチ
「ICカードと磁気カードはくっつけて保管してはいけない」
経験談ですが。
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僅はじめ氏のエッセイ『ネコじいさんのそぞろ歩き』を読んで、丸一日考えを巡らせた。
お母様の介護のくだりは、親の老後を案じると自分と家族にも起こらないとは言えない身につまされる話。
不安の一つは、「自分の親がもしそうなったら」だけど、それよりもなによりも、「もし自分がそうなったら」のほうが恐怖である。
当の将来の自分は、そうなってしまったら恥も何も感じなくなっているわけで、つらいとは思っていないかもしれない。
だけど、そうなる前の自分から見れば、羞恥の極みであり、そうなる前にいっそ死んでしまいたいと思ったりもする。
自分の親がそうなっても、それでもきっと生きていてほしいと願い続けると思うのだが、自分がそうなるのは嫌だ。考えただけでも辛くて、申し訳なくて、恥ずかしくて、

いっそ、姥捨て山にでも捨てられたい

風呂のタイルの目地をこすりながら思いついた選択肢がそれであった。

さらに、昔観た映画『楢山節考』を思い出し、姥捨てという風習について考えた。
映画は、伝承に残る貧しい山村の「姥捨て」をテーマにしている。
70になったら老人は皆自主的に山に行かなければならない。実際は、冬の真っただ中の年末の夜に人目を避けて息子が山に連れて行き、置き去りにするわけである。
しかしそれはその村の伝統的な風習であり、貧しい村の口減らしの意味もあり、捨てるほうも捨てられるほうも、定めを受け入れてそれに従っている。

子孫が食いつなぎ村を守るという意味があるにせよ、生きている親を山に捨てる(そして凍死か餓死させる)という風習は残酷極まりなく、映画を観る私は、風習を理解して抗わずそれを受け入れる老婆に涙したり、谷に父親を突き落として逃げ帰る息子に腹を立てたりしたものだ。

しかし。と、タイルの目地をこすりながら私は考えた。

福祉や介護用品の助けがある現代でも、認知症の老人の介護は相当大変だ。
昔の貧しい村人がもしも自分の親を介護するという経験をしたら、自分は子供にそのような思いをさせたくないと思うのは当然のことであろう。だから老人は馬捨てを受け入れてきたのか。
いや、そうじゃないような気がする。
子供のためじゃなく、自分の尊厳を守るために、自分が理性を失う前に家族の前から姿を消したいと願って自ら山に入ることを決めたのではないだろうか。

人の老い方は人それぞれであり、100歳まで生きても思考が衰えない人もおれば、早くに人の手を借りなければ生活できなくなる人もいる。
山に置き去りにされても、生命力が強く、生き延びてしまう人もいたであろう。そうやって山に住んだ人が『山姥』の昔話になり、親を捨てたうしろめたさがあるからそれは、見てはいけない・探してはいけない存在とされたのかもしれない。

山姥って話はよくあるが、山爺って話はあまり聞かない。
女性のほうが生命力があったのだろうか・・・・?

話がそれた。

そうやって「姥捨て」に対する見方を変えると、『楢山節考』の見方も少し変わってくる。
残酷な物語ではなく、人の尊厳について深く考えさせられる作品となる。

自分がどう老いるかは予想できない。
せめて「老いる前からずっと困った人」でなく生きていたい。

とりあえず、明日遅刻しないように、そして家族にちゃんとお休みを言って寝るだけである。


前回、「つづく」と書いてみたが、続けるのをやめた。

だって、つまんないんだもん。

だらだらその日の出来事を書くというのは、結構やってみるとパワーがいるということがわかった。
そうやって考えてみると、多くの作家の日記本みたいなのは、かなりすごい。
本気で書く気で書かないと、何の面白みもない文章になる。
わざと面白くしたら嘘くさいから、平たんに書いてみると、「今日は起きてご飯食べて寝ました終わり」みたいになった。まじで。ほんとごめん・・・。
そして書いていてもだんだんだるくなってきて1日分書けなかった。ひどい。

それなら小学生の日記でも読んだほうがずっと面白い。

見るのも嫌になってブログから逃げていたが、そんなくだらない状態で放置するのも醜く、どうせなら思い切りすべって呆れられてるほうが「ダメエンターティナー」っぽくてまだましかもしれない。

なのでもうあの日の日記は続けない。
あのあと、近鉄電車から見た夕日がどんなに美しかったかについても、もう書かない。
西大寺駅で買ったケーキがどんだけ美味しかったかも!(買ってないから書けない)

こうやって考えてみると、
毎日毎日、小さな発見とかささやかな喜びとかは確かに経験しているのだけど、
でもその瞬間瞬間にその気持ちは置き去りにされ、そして

3日経ったらもう忘れちゃう。


忘れる?誰でも?


うーん、そうじゃなくて、
それは私がネガティブな本質を持っていて、良い出来事に対する感謝を大事にしていないからではないのかしらん。
ポジティブに生きてる人はきっと、ささやかな毎日の「良かったこと」を大事に持ち続けて、それを人にも伝えたり分け与えたりできるのではないかしらん。
それが例えば、私が読んで「楽しい」と思える誰かの日記であったりエッセイであったりする。

あれだね。
オンガク(音楽)っていう名詞のように、ブンガクという名詞にも「文楽」って漢字を当てはめたいね。学ばなきゃ文字読めないから「楽」じゃなくて「学」なんでしょうかね。
じゃあ口で伝える物語は何だろう、文学とは言わないんだろうな。言わないのかな。ほんとかな。






朝から会議で堂島。
会議の日だけコーヒーを淹れてステンレスボトルでもっていくのだが、ここ三回くらい謎のコーヒー漏れ事件が起きていて安心ならないので、中栓付きのにかえてみた。
 水筒やん。
 うるせー。
350mlから500mlに変わったので今日はガブガブのめる。
タリーズもコンビニも近くにあるのに。ケチ。
みんなが早回しで喋る会議をやりすごし、次のミーティングに備え昼前に西北に移動。
阪急までかなり歩くが、ちょっと寄り道。
新ダイビルのル シュクレ クールにパンを買いに。
パン選ぶために並び、レジでさらに並び、
まあ、人数的には同じだけど、結局20分くらいかかった。
でも、次はランチしてみたいなあとか夢が膨らむ店。
新地から阪急まで必死で飛ばして歩くが、初めて歩くルートで東梅田まで行ってしまい遠回りだった。梅田の道、ほんまにわからん嫌いや。
西北のビルの従業員休憩室でオニギリ食べながら、勝手にしゃべってるテレビを眺めてたら、ノーベル賞受賞者へのインタビューが始まった。
どうせ馬鹿な事しか聞かないんだろうと期待してたら、インタビューする女性が開口一発、
「受賞されてから連日連日の取材で、寝る暇も無くていらっしゃるのでは」
吹きそうになった。
受賞の速報は前日夕方に流れた。
24時間たってないのに、
受賞から連日連日のはないだろう。
教授はオトナなのでそこにはツッコマなかったけど。
私は教授の代わりにインタビューの大きい画面の前から消えてあげた。
レンチンし過ぎて高熱になったオニギリと格闘したせいで、猫舌の私の昼休みは大雑把かつ2倍速で過ぎ去り、ミーティングの部屋までひとり競歩となった。着いたら汗だくでハアハアしてて、ぜんぜん休んだ気がしない。
ああ。ここで爽やかなレモネードとかスッと出てきたら、午後のミーティングに気合いが入るに違いない。
ミーティングの前に、それぞれが話したいことをホワイトボードに書き出した。
見ると、私のがいやに主婦のメモっていうか冷蔵庫に貼り付けたメモみたいな内容でカッコわるかった。
仕方ないじゃん。そういうの担当なんだから。
9時過ぎてやっと帰路につく。
気になるお好み焼き屋さんとかイタ飯屋さんとかを横目に、カツカツ歩き阪急北口へ。
阪急北口駅って、改札階に次の電車の案内が無くてチョー不親切。
アレですほら、何番線に何分発の何処行きが来るか書いてるアレ。無いの。何処にも。
だから、乗りたい電車まで時間があるのに無駄に走ったり、さっさと歩けば間に合った電車を目の前で逃したり、ただ普通に阪急電車で帰るだけなのに、なんでこんな波瀾万丈な人生を経験しなきゃならないんだとムカつく羽目になる。
もしそれが、案内を掲示したら電車に乗ろうとして走る人が出て危ないからという配慮なら、御門違いだ。なければほぼ毎回走るから。ふんっ。
そんなことをもやもや考えながら梅田行きの特急に乗り込み、十三を過ぎた辺りから見る梅田の街のシルエットに暫し見惚れ、あー、夜の景色が素敵だから十三って夜の街が栄えたのかと、降りたこともないのにひとり納得してみたりする。
梅田に着くと今度はJRに乗り換え。急げど10分。勿論早足で雑踏を抜けたいが、ほんま、あんたら家に帰るの嫌やったらどこかにこもっときいな!って言いたくなるくらい周囲の歩調は牛歩に近く、抜きたくても横並びで歩いてる人たちは壁のようで、前からは逆方向に歩く人々がどんどん来るし、人の群れの上を翼広げて飛んで行けるならどんなに素晴らしいだろうとか考えながらタラタラ歩くしか手段が無い。
ところで、このタラタラ街道には、途中に弁当屋があって、いつも閉店前に半額セールをやっていて、仕事帰りのOLやサラリーマンが並んで買い物をしていく。おにぎり50円は安いよねえ…。お弁当じゃなくケーキだったら私も間違いなく買っちゃう・・・。ケーキ売ってくださいお願い。


環状線に乗ると、わたしはいつも方角がわからなくなる。こっちが前と思っているほうが後ろだったり、でも乗り間違えてないから完全に感覚だけが間違ってて、これは方向音痴なせいなのかと首をかしげてしまう。内回り・外周り。時計方向に回るのが外回り。かな。
わからなくとも「○○方面」というサインのおかげでいまだに間違って乗ったことはなく、それはそれでまたちょっと不思議だったりする。

つづく
・子供の頃に観た怪獣ものといえば、ナンチャラ特捜隊みたいな架空の部隊やかっちょいい戦闘機やらがでてきて活躍したものだけど、今回のはリアルで良かった。
新じゃなく真だなって思った。

・神は何考えてるかわからないところが無邪気で悪気がなくカワイかった。

・攻撃され過ぎると全力でイヤを表現しちゃうところがちっちゃい子みたいでカワイかった。

・見慣れたフォルムだが何度見ても飽きない古くないカッコ良すぎて完璧なキャラ。(で、カワイイ

・ジョニー(トーマス?仮称なんだっけ)の本棚に居る神(昔映画を観たときに買ってあげた)を連れて行って一緒に映画を観ればよかった。きっと、ジョニー(トーマス?仮称なんだっけ)の本棚に居る神(昔映画を観たときに買ってあげた)も喜んでくれたに違いない。
もし上映が終わりテレビで放送されることがあれば、そのときは必ず、ジョニー(以後省略…。

・まさかあの兵器が出てくるとは!と嬉しくなったが、さらに駄目押しがあってコーフンした。

・子どもには解らない大人の社会の面倒くささを描いた映画である。たぶん大人だけがニヤニヤしてたとおもう。寧ろ、15歳以下には全くつまらない映画だろう。

・オトナのおじさんがニヤニヤする場面とかオトナのおばさんが頬を染める人物は出てこないので、そういう意味でのオトナにはやはり、つまらない映画だろう。


意味わからん感じのコメントですが、面白いです。是非スクリーンで神の洗礼を浴びて下さい。
アンティークと言っても過言でないフリフリのブラウスを、思い切って煮洗いした。

1日にゴジラを観に行ったときに、映画館のエアコンが効きすぎるとつらくて映画どころじゃなくなるので、上に羽織る長袖ブラウスを持って行こうと思いついた。
箪笥を物色して、厚さとしては丁度良い木綿のブラウスを取り出したところ、
長年放置していたせいで黄ばみが・・・・・。

黄ばみというのは適切でないかもしれない。茶ばみ?ちょっと涙が出る。
傷むと困るので中性洗剤で軽く洗って、何年もそのまま保管していたのが仇になり、たとえるならば「醤油ラーメンのスープに浸かっちゃって洗っても取れないよ」というか、「これ、紅茶で染めたの?」というか、
マジひどい。
本当にむごい。
いつの間にこんなに。
着れなくなると困るので大事にしてるとこうなっちゃったわけで、でも結果的に着れなくなっちゃってるし、このまま見ていても白くなるわけもなく。

煮るか…。

あれですな、
「西洋人もすなる煮洗いといふものを倭人もしてみむとするなり」って感じ。

① 大きな鍋にブラウスを浸けて湯を沸かす。
  温くなってきたあたりで粉石けんスプーン1杯投入。
  沸騰する前に重層も小さじ1投入(家にそれだけしかなかった)
  そのまま40分くらい、トングでつまんで位置を変えながら煮る。
  暑い…。
  弱火にして放置してなべ底が焦げたらどうしようと思うと離れられなかった。
  ブラウスをもにゅもにゅかき回したりしているうちに、いい出汁が出てきた。(ぇ
  薄茶色の湯で煮ても汚れが行ったり来たりするだけなので、湯を替えることにする。
② 湯を捨てて、別に沸かしておいた湯を注ぎ、もう一度粉石けんで煮る。
  20分くらい。全体的に黄ばみが取れている感じがするが、
  首の後ろから背中にかけてがまだ落ちていない。
  トングでつかんで押したり揉んだりする。するとまた煮汁が色付いてきた。
  目で見える「落ちてる感」で満足度アップ。
③ 楽しくなったのでもう一度湯を替えることにする。
  こんな面倒なこと何回もやりたくないので、今日1回で可能な限り落としたい。
  今度は、洗濯機で使っている液体洗剤をスプーン1杯ほど、
  黄ばみが残っているところを目がけて投入。
  洗濯石鹸と液体洗剤は得意分野が違うと踏んで。
④ 残っている茶ばみが黄ばみ位に見えてきたのでここで良しとする。
  これ以上やってるとトングで布を破きそう。
  少し冷ましてから湯で濯ぎ、脱水機へ。

いやー。やってよかったです。また着れる感じにまで黄ばみが取れました。
ブラウスも別段傷まず。

ちょっと石鹸臭いけど…。
もっと濯げばよかった…。


まあ、漂白剤なしでも再生できたので、めでたしめでたし。

※煮洗いだとたぶん、お父さんの洗ってもにおいの抜けない枕カバーとかもきれいになります。
 そこまで手間をかけるより買い替えのほうが楽だけどね。
 お気に入りで綿100%のどうしようもなくなったお気にのブラウスがあったら、試してみるのもありかもですよ。(保証はしないけど
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きの。
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自己紹介:
■モノカキ志望だけどハジカキの方が多そうなこの人生の「言い訳」や「いいわけ?」。

■隠し事下さい。ちゃう。書く仕事下さい。

■リンクは勝手にバンバンしてください。気がついたら黙ってこちらからお伺いします。
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