忍者ブログ
ほんとのこととか作り事とかいろいろ書いています。
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今日から掲載中です。平日朝更新(いつまで続くか・・・)


My dear Benjamin!







PR
とっかかりで終わっていた。
重症になって書けなくなったと心配されても困るので(しないって・・・)続きを。

深夜に陽性と気が付いた明くる日は土曜。
まず会社の上司に連絡して怒られる。
検査に行く前に知らせてほしかった。しかも休日に連絡もらってもさらに上に報告ができない(報告しようとしても連絡取れない)と、口調は柔らかだがしっかり叱られた。
さもありなん。
上司や同僚、月曜日出勤していいかどうかわからへんやんってことで・・・。
ほんとにごめんなさい・・・。平謝りする。

そのくらい、
どうせ陰性だから、検査前に報告しなくても大丈夫だろう
と信じていた。
だって通勤中のどこかで、
会社の出口で手指消毒し、つり革も持たず、手すりも触らず、トイレも使わないのに、
知らないうちに感染するなんて、誰が思うの???

医師は、保健所の状況からして、連絡が来るのは日曜になると言った。
私は家族にうつさないように、ひたすら布団で過ごすのみ。
家族は感染を恐れて物置化している部屋に移り、私は前の日に寝ていたリビングから動くことを禁じられた。
患者のいる部屋がリビングって、最悪なんだけど、それ以上あちこちにウィスルばらまかないで!ってことで、家族が籠城する羽目になった。
しかし洗面もトイレも同じところを使うので、気が気ではない。
私はトイレのたびにビニテをはめて行き、戻るときはドアノブやらレバーやらすべてシュッシュ。
アマゾンでペットボトルのお茶と水、除菌シートを購入。
食事の調理だけは家族がして置いてくれるが、なるべくっていた。
重症になって書けなくなったと心配されても困るので(しないって・・・)続きを。
深夜に陽性と気が付いた明くる日は土曜。
まず会社の上司に連絡して怒られる。
検査に行く前に知らせてほしかった。しかも休日に連絡もらってもさらに上に報告ができない(報告し用としても連絡取れない)と、口調は柔らかだがしっかり叱られた。
さもありなん。
上司や同僚、月曜日出勤していいかどうかわからへんやんってことで・・・。
ほんとにごめんなさい・・・。平謝りする。
そのくらい、
どうせ陰性だから、検査前に報告しなくても大丈夫だろう
と信じていた。
だって通勤中のどこかで、
会社の出口で手指消毒し、つり革も持たず、手すりも触らず、トイレも使わないのに、
知らないうちに感染するなんて、誰が思うの???
医師は、保健所の状況からして、連絡が来るのは日曜になると言った。
私は家族にうつさないように、ひたすら布団で過ごすのみ。
家族は感染を恐れて物置化している部屋に移り、私は前の日に寝ていたリビングから動くことを禁じられた。
患者のいる部屋がリビングって、最悪なんだけど、それ以上あちこちにウィスルばらまかないで!ってことで、家族が籠城する羽目になった。
しかし洗面もトイレも同じところを使うので、気が気ではない。
私はトイレのたびにビニテをはめて行き、戻るときはドアノブやらレバーやらすべてシュッシュ。
アマゾンでペットボトルのお茶と水、除菌シートを購入。
食事の調理をしなくて済むよう、パンをいっぱい買い込み、配給された。
土曜はそうやって気を遣うけどどうしようもない状態で過ごし、
日曜日にホテルか病院に連れて行ってもらえることを祈った。

日曜の朝起きて、お手洗いに行き腰を下ろすと、急に目が回り、やばいと思った。
吐く?でも汚したら掃除が大変どころか家族がトイレを使えなくなる。
困った!と思った瞬間・・・

何分そうしていたのかわからない。
「なんかおでこの上がキリキリいたい。前髪が何かに挟まってる?
え?なんで?どこに挟まるの?」と訳の分からないことを思って意識が戻った。
「だいじょうぶ?大きな音がしたけど、どうしたの?」
家族がドアの向こう、ちょっと離れて大声で呼んでいる。
私は床に横たわっていた。
頭に手をやったが髪の毛は引っ張れていなくて、その代わり壁に立てかけてある大きなポスター額を頭で押しているような状態だった。

見られなくてよかった…
用を足す前で汚れてはいなかったが、おしりを出してトイレの床に寝ているところなんて誰にも見られたくない。
生きててよかった。パンツ上げれるし。
起き上がるとめまいは止まっていたが、おでこから頭頂にかけてかなり力強くどこかにぶつけたらしく、がっつり大きなたんこぶができてキンキン痛かった。
倒れるようじゃまずい・・・保健所に電話をして、このことを話す。
「倒れて頭を打たれたということなら、病院の方が良いですね・・・
担当から改めて連絡します」
そしてお昼ごろ、他の担当者から電話があり、症状や濃厚接触者の有無など色々聞かれた。
そして、入院の準備をしておくように言われ、次の連絡を待つことになった。

市町村によると思うが、私のところでは、療養施設によって設備というか持参するものが違っている。
病院ならばタオルやティシュ、洗面器など、結局普通の入院患者のごとくすべて自分でもっていかなければならないが、寝間着は1日いくらか払って借りれるかもしれない。
Aホテルの場合は、タオルは持って行かなくてよいが、室内着かパジャマが必要。
Bホテルはタオルついてない・・・
そんな感じのPDFを読んで、病院に行く場合の準備を始めた。
一人で行かなければならず、途中売店は使えない。なかなか量がすごい。
お風呂はどうせシャワーしか使わないので、洗面器は省く。
ずっと使わずに残していたプラの使い捨てカップをマグカップ代わりに持参。
2時ごろ?やっと第3の担当者より電話。準備できていますか?行先は●●ホテルになります。
「え。頭打ったから病院って聞いていたのですが」
「ホテルだと今日中に移動してもらえますが、病院の場合明日になります」
「(がーん)これ以上家族と同居無理だし、ホテルに入れてください」
そして次に、ドライバーさんが近くに行ったら電話をくださるとのことで、また電話待機となった。
夕方、4時も過ぎていたと思う。ドライバーさんから電話があり近所の目印になる場所まで来れるか聞かれる。
歩くと10分くらいかかって少しきついと言うと、その目印からの道順を聞いてくださり、家の外で待つことになった。
運転席と後部座席の間をビニルシートで仕切った車で、患者を運んでくださるドライバーさんには本当になんとお礼を言ったらよいものやら。でも、マスクをしているとはいえ私は得体のしれない病気の感染者。おしゃべりするわけにはいかないので、到着してからも車から離れたところで深くお辞儀をして謝意を示した。

裏口からホテルに入ると、エレベーターの前に受付があり、マニュアルと部屋のカードキーが入った袋をもらい、食事をとりに行くとき必ず持って出ないと締め出されると説明を受けた。
そうだよね。うっかりやるから怖いよね。
一人で部屋に上がると、普段出張で訪れる有名大規模ホテルよりずっときれいで広いセミダブルの一人部屋だった。エアコンも付いていて明るく清潔だ。
歯ブラシセットはないものの、タオル2種やシャンプー・コンディショナー・液体せっけんは備え付けられ、ティシュも有名メーカの小箱で用意されている。ポットもマグもあるし、テレビもwifiも使い放題。
すごい・・・。申し訳ない・・・。
でも、清潔だが古いホテルのせいか、枕元にUSBソケットがない。
たったそれだけが不便だったが、どうせ一日部屋で寝てるか座ってるかなので、起きて座っているときでも充電はできる。

部屋にはプラスチックの新品の収納ケースが2個あり、そこにゴミをためていき、最終日にはシーツやタオルなども一緒に入れて、はめたら外れなくなるふたを閉め、ゴミ置き場になっている部屋に自分で運ぶ。弁当の容器やペットボトルも約一週間そこに溜めるので、弁当の後は軽くすすいでにおいが出ないよう気を付けることにした。

ホテル療養の場合、ゲーム機やPCやおやつ類を持ち込んでも良いと準備物の案内に書いてあったが、気持ち的にも荷物の量的にもそれは無理と思い、さすがに持ち込まなかった。
最初の2日ほどはまだ微熱があり、そんな気分に離れず、横になっていることが多かったが、もっと元気な患者であれば、きっと退屈したことだろう。

しかし、退屈とはいっても、結構規則正しい生活をしなければならず、1日3回、フロアのエレベーターホールに食事をとりに行くとか、午前と寝る前の検温・酸素飽和度の報告電話への応答、医師の電話診察などあるので、「この時間はお風呂に入れない」とか「部屋の電話が鳴ったら起きなきゃ」とスケジュール重視になる。
一度、横になっているときに問診の電話がかかってきたのだが、ベッドから急に降りてスリッパをはいて電話にかけ寄るのが結構危なっかしかったので、電話がかかってくるまでは起きて待つことにした。(自分のスマホでなくて、部屋の電話にかかってくるのだ)

そのホテルの食事は、某大手持ち帰り弁当会社の弁当だった。それにカップみそ汁が付いてくる。朝はパンと紙パックのジュース。
入所一日目は疲れていて熱もあったのでやむを得ずご飯を少し残したが、残飯はゴミのにおいのもとになるので次の食事からは頑張ってきれいに食べるようにした。
退所してしばらくしてから、他の市町村で食事の基準が守られていないことがニュースで報じられていた。私が頂いた食事も多分国の設定を満たしてはいないと思うが、療養中同じお弁当は出てこなかったし、量的には十分で、あれ以上豪華なものを食べたかったとは思わない。むしろ無料で食べさせていただき、感謝している。

しかし、だ
1回だけ利用者に対して頭に来たことがあった。

お弁当のふたには、大きな字で部屋番号か書かれている。
自分の部屋番号のを持ち帰るのだが、うちのフロアは5~7部屋くらいしか利用されておらず、
皆上手に廊下の物音をうかがって、人に合わないように取りに行っていた。
その時私は、3番目にとりにいったのだが、なぜか私の番号がなかった。
ドアスコープで見たときに、私の部屋は角部屋なので、ドアの前の廊下はよく見えており、
直前に出入りした、私の部屋から2個目の部屋の住人が疑わしかったが、部屋まで聞きに行くわけにもいかない。
いったん部屋に戻りドアスコープでのぞいていたら、疑わしい部屋からまた人が出てきて、エレベーターホールにの方に向かうのが見えた。
こいつだ!
私は廊下に出て、弁当を抱えてこっちに来る腹の出た男性に話しかけた
「お弁当、間違えられました?」
「はい」(にやにや照れている)
「フタ開けられました?」
「はい」
はあ…謎。一回開けたやつ、戻してきたん?
「それ(男性が新たに持ってきた弁当)、新しい方でしょ。交換してもらえません?」
「そうですね」(と素直に弁当をくれる)
そういうわけで、見知らぬ腹のでたおっさんが手にした新品の弁当を入手することに成功したのだが、そこで捕まえていなかったら、おっさんが一度開封してしまった弁当を私は知らずに食べる羽目になっていた。
弁当を取り間違ったから自分の部屋の番号のを食べてくれと伝えに来るとか、内線で言ってくれるとか、スタッフに説明するとか、何でも方法はあっただろう。なのに黙って戻すなんてひどい奴だ。
初めてやらかしたのじゃないかも知れないし、ほんとに呆れてしまったので、次の食事の配給からは、アナウンス直後に1番に取りに行くことにした。
がっついていると思われたら不本意だが、安全が一番だ。
それに考えてみれば、どうせ対処まで顔を合わせない名も知らぬ人たちだから、どうでも思わせておけばよい。お互いの迷惑にはならない。

TVを見るかスマホを見るしかすることがないので、よくTVを観た。
ニュースの中で、家族が感染して濃厚接触者になった地方担当記者の取材(といっても記者ご自身のこと)動画が流れていた。
保健所の対応が遅く、濃厚接触者としてどう動いたらよいのかわからないので困った。
保健所は速やかに濃厚接触者に連絡をとれる体制を作るべきだ。
と記者はカメラに向かって怒るような口調で訴えていた。
それを見ている私はTVのこっち側で、「あのなあ・・・」と言ってしまった。
保健所の人たちが深夜までかけTELしたりしても追いつかない状態と
毎日ニュースで流れているのに、何を言ってるんだこの人は。
ただの、自分の仕事に支障が出て怒ってるおっさんでしかない。
そんな体制出来ていたらって、今言っても理想論じゃん?
深夜まで頑張っている人たちがいて、感染リスクにさらされながらも協力している人たちもいて、さぼっていてこうなっているわけじゃないのに、面と向かって「遅い」っていうんだなこの人は・・・・。
記者のうっ憤を晴らしただけのそんな動画を流す局も、どうなんだろうねえ。従事者にありがとうとか言ってるくせにそんな叱咤するような映像も流してしまうことに不思議さを感じた。


そうこうしているうちに体調も良くなってきて、汚れ物を家に持ち帰らないように、下着やフリースなどを洗濯して室内干し(これがまたよく乾く!)した。
家からは、スリッパの代わりにシャワーサンダルを持ってきていたので、退所の前の晩にこれも洗剤できれいに洗い、乾かして消毒もした。(気に入っていたので捨てずに済んでうれしい)

発症後10日目、うちは迎えに来てもらえないので、今度は駅まで送ってもらい、無事退所。
帰りはもう感染させる心配なしということで、同じ日に対処するほかの人と一緒に後部座席に座った。降りてから、ドライバーさんに笑顔で見送っていただき、私が感染してしまったことで、たくさんの人にあらゆる手助けをしてもらったことを改めて実感した。

家に帰るとまだばい菌扱いされて、全身アルコール消毒しないと玄関から上がれない雰囲気で、1週間くらいはまだ食事を別にしていたが、今から思えばどれだけ不安だっただろうと思う。
幸い家族だけでなく職場でも私から感染した人はおらず、職場に復帰させてもらえたが、一時はどうなることかとほんとに心配した。

気を失って倒れた時のたんこぶは、その後1か月くらいかかってやっとなおったが、退所1か月経ってから一応脳神経外科に行き、MRI検査をして頂いて異常なしと判定された。
骨折してるだろう、そして脳みそスカスカだろうとかなり緊張したが、何も異常は見つからず、脳もしっかり詰まっている方ですよと言われた。
それじゃあこのおバカさんは退化じゃなくて仕様なのか。
それはそれでがっかりしたけど、後遺症なく全快できたことにほっとしている。
もうこんな病気が流行することがないよう、心から願ってやまない。

おわり。

・実は発症3日目(入所2日目)から、味はわかるのに嗅覚がなくなり、シャンプーに鼻を突っ込んでみたり、ゴミ箱に顔を突っ込んでみたりしても何も感じない状態に陥ったが、
風邪の鼻詰まりの時と違って、ちゃんと味はわかるという不思議な体験だった。
退院する前の日くらいからなんとなく嗅覚は戻ってきて完治し、その後再発はありません。






2日目

たまたま有休をとっていた。歯科健診のために。

朝の体温は37.0℃
平熱は36.0℃だからアカンやつ。
だけどまだ鼻炎だと100%思っている。
でも咳をしながら歯科に行くのもまずいので、PCR検査して、大丈夫の証明を持っていこうときめた。
しかし保健所には全く電話が繋がらない。
幸い徒歩圏内に実施医療機関があったので、てくてく歩いて行き、インターホン越しに「軽い風邪症状があるので検査してほしい」とお願いした。
電話してから来てほしかったと怒られた。
もっともです。ごめんなさい。

この日は日本のアチコチで積雪しており、医院の裏の私の座っているガレージの周りにも、晴れているのにチラチラと、すぐに溶ける雪が舞っていた。
暫くして、使い捨てガウン一式に身を固めた医師が出てきて、キットで検体採取。
まだこの日は在庫がひっ迫していなかったのか、20分で判定が出るものと、数時間かかるもの、2種の検査をしてくれた。
まず、20分のほうで陰性の結果が出て、一旦はホッとした。
キットは医院で捨ててしまうし、陰性でしたよと見せれるように写真撮っておきます?
と親切に見せていただきスマホでパシャリ。


この検査の精度は75%くらいとのことで、万全を期して歯科はキャンセル。
夜になるであろうもう1つの検査の結果は電話で知らせていただける事になった。
陰性判定は出たものの、まだ確実とは言えないので、支払いは後日、確実に陰性とわかってからと言われ、翌日また来るつもりで足取り軽く医院を後にした。

帰宅し、一気にヒマになったので、鼻炎の原因と思われるエアコン掃除。
数日前に覗き込んだら、フラップや壁側の奥にカビが生えていて届く所だけアルコールで撫ぜた。随分前に買った洗浄スプレーを使ってしまいたいのもあり、前カバーを外して掃除。


洗浄液を乾かすために、一時間ほど窓を全開にして換気扇を回す。
そして夕食に備えて大根を茹でる。
家族が帰宅し配膳し一緒に食事。
まさか私が感染者だとは思っていなかったから。

そして実は、この食事の時間帯に医師から検査結果の連絡も電話が入っていたのだが、スマホを身近に置いていたにも関わらず全く気がつかず、食後のくつろぎタイムに突入したのであった。
深夜。
家族は先に寝てしまっている。
寒いしそろそろ寝ようかとスマホを手に取ると、このスマホに変えてから初めての留守録発見。
なんと「陽性でした」って、エエエェエ?!
家族は飛び起き私は布団に滑り込む。
その時点ではまだ、検体の取り違え違う?なんて半信半疑だったが、真夜中目覚めると、38.5℃も熱があった。
こりゃ本物だ。
昼間に念の為にと処方してもらったカロナールが、早速役に立つとは思ってもみなかった。

症状は重くないので、心配事は、同僚や家族にうつしていないかという点のみだった。

寄り道もせずに通勤しているのに、オミクロンもらっちまった。
厳密に言えば、駅から家迄の徒歩の途中にある空いてるスーパーに、ササッと食材を買いに寄るくらいはしたけど。
とにかくいつどこで感染したのか、全く思い当たらないのだ。
3〜4日前、電車に乗り込む時に頭の後ろでゲホゲホとやられた。頭の中で裏拳をかまして我慢したが、あの時にうつされたのかもしれない。
ゲホゲホした乗客は、その前日に見た時もゲホゲホしていた。
リアル裏拳で私の周囲から追い払っておくべきだった、とつくづく思った。
いや、だが待て。
2〜3日前だって、隣りに座った乗客に、
前日は、前の座席に座っていた乗客に、
ゲホゲホされて嫌な顔をしたじゃないか。
咳をしながら通勤している人が多すぎて、とても避けられない、確定も出来ない。

そんなわけで、毎日危険に晒されているにもかかわらず、
この時期毎年恒例で鼻炎が悪化して鼻水鼻詰まりで夜も眠れなくなるーあれがまた来たのだと思っていた。

一日目
朝の体温36.0℃
普段どおり出勤。
水鼻が喉の奥に流れてイガイガする。時折痒さを解消しようと咳が出る。
「鼻炎なのごめんなさいね」などと近くの同僚に言いながらも、腕や肩を当てるなどの気遣いはコロナ禍でのマナーとして当然実行。
帰宅し、夕飯準備して家族の帰宅を待ち一緒に食べた。
食事以外はそれぞれ別の部屋で過ごすことが多いので、食事中ココぞと会話。
あんかけ五目焼きそばだったかなあ。
さて、明日は歯科健診のために有休をとっている。
咳がでるけど、診てもらっている最中、大丈夫かな。
いつもと変わらずテレビを見たりパソコンでゲームをしたりして12時前に寝ようとした。
体温を測ると37.0℃。ん?微熱?
隣で先に寝ていた家族に言うと、飛び起きてソファに避難してしまった。
そして、明日のお弁当も朝ごはんも、作ってくれなくてよいから!何もしないで!と凄い勢いで言われた。
まあ、時期が時期だから、気にした方が安心。それで良いと思ったが、その時はまだ自分がホントに感染しているとはカケラも思っていなかった。
そして自覚はなかったにしろ、微熱が出たこの日が、後ほど私の「発症日」とされることになるのだ。
昨年末に引き続き、この年末も引き続きコロナの流行が収まらず
ひとごみを避けつつ生活している。

30日に実家で恒例のお餅つきをするというので兄弟が集まったが
さあ、お昼ごはん?となったときに母と私と弟の認識が食い違っていることがわかった。
母:お昼予約してくれた?(みんなで焼肉屋さんに行くのが恒例)
弟:してへんよ?去年も行ってないし。
私:(すっかり忘れてた。そう言われればそうだ)
母:ええーっ じゃあどうするの
そこで、今年は何も用意していないので食べに行こうということになり、
予約の電話を入れて車で出かけた。
店はいつもより空いていて、急な予約にも応じてくれて個室でゆっくり食べることができた。

記憶とラインの履歴を見てやっと思い出したのだが
前の年末は外食を避けようということで、私が実家に行く道で寿司屋で買い込んで届けたのだった。
出前を頼むのも難しかったから。

食事を済ませ、実家に戻ると母は弟に聞いた
母:じゃあ・・・明日はどうするの?

コロナ前は、大晦日は弟が母から大金を預かり、
黒門だの高島屋だのでごちそう食材を買い集めて来て皆で食べ、
蕎麦で〆ていったん解散、そしてまた元日にあいさつに行くという具合だった。

弟:明日は来ないよ。買い物も行かない。

母は弟の買い物をすっかりあてにしていたので、年越しそばもおせちも用意していなかった。
全く。
お雑煮の材料とお餅、そしてみんなで鍋をつつこうとたくさんの野菜だけを用意していた。

母はがっくりして俯いて、「そっか・・・。去年もうそうだったの?全然覚えてない」
と小さな子供のように口を少し尖らせた。
しかし、勤め人の私たちとしては、大晦日の大阪の買い出しの人込みに突入する気になれず、
コロナやから我慢してというしかなかった。
母は買い込んだお菓子や野菜を弟と私に分け、私たちの帰宅の支度をし始めた。

去年はどうしたのか。
よくよく考えてみると、母は年末に近くのデパートでおせちの好きな種類だけを買ってきて食べたと言っていた気がする。
帰りにそのデパートに寄ってみたが、おせちのパーツがすべてそろう売り場がなく、
むしろスーパーの方が品ぞろえが良かった。
大晦日、実家は水栓の工事の予定があると言っていたが、
時間があれば寒波の冷え込みの中、高齢の母が一人でどこかに食材を買いに出かけるかもしれない。
混んでいるとか以前に、それはたまらない。
帰宅してから母に「明日おせちを持っていくから買い物に行かないで」とLINEをし、
次の日の大晦日、デパートの開店前から並び、
限定販売の高級料亭の2人用おせちと、漬物店の千枚漬け、年越しそば用の海老天を購入した。
果物も欲しいか、LINEをすると、
「果物は要らないけど(おせちの)くわいが欲しい」と返事が返ってきた。
購入したセットにはかなりいろいろな種類が入っているようだったが、くわいはどうだかわからない。
デパートに入っている和惣菜店のばら売りにはくわいがなく、仕方なくスーパーで購入したが、
アメリカンチェリーくらいの小さな粒が7つ入って980円というべらぼうな価格だった。
やっと購入したと思ったら今度は「いくらも」とLINEが来たが、
デパートの水産売り場の行列に並ぶ気になれず、
料亭のセットの写真を送り、
バラバラ買い足すとダブるかもしれない。いくらはどうしても食べたいか
と聞き返した。
それならなくていいと母が言ってくれて買い物は終了し、実家に届けることができた。
水栓の工事に人がちょうど帰った後だった。
この時間でこの一見暖かそうな日差しだから、放っていたら母はきっと買い物に出ていたことだろう。
寂しさまでは補ってあげられないが、
「今年は何もかも普通に過ごさなあかんのやなあと思ってた」
と母が言うのを聞いて、これが少しでもお正月の楽しみになればよいと思った。

元旦のお昼前、母からLINEが来て、おせちはとても美味しかったとのことだった。
いくらは入っていなかったそうだが、満足してくれたようでほっとした。
それを読む私の食卓は、お雑煮だけでおせちなし。
家族がおせちを好きでないのに加えて、大晦日のデパ地下の混雑はすさまじく
自分用に何も買わなかったせいもある。
明日は実家にあいさつに行くので、行き路でスーパーに立ち寄り、
父の好きないかの刺身と母の好きないくらを買っていこうと思う。
もちろん帰りには自分の夕食のおかずもちゃんと買って帰ろう。

おせち1個買いに行き、混雑で気持ちがへとへとになったので
来年は弟に頼らずにおせちの予約をするよう母に勧めてみようと思う。
コロナで変えねばならないしきたりもある。
それは決して不便になることばかりではないと思っている。



キャサリンが出かけて半日一人になるので、
エアコンを消し、
布団と座布団を干し、
ソファのカバーを掛けなおし、
植木鉢に土を足し、
エアコンと床に掃除機をかけ
いらない郵便やコンビニ袋を整理し
壁に釘を打ってオサレな真鍮風のフックを取り付け
・・・とまあ、専業主婦は日々やっていることだけど
朝早くから仕事に出かけて夜帰る私ができていないことを
やっとこさ片づけた。
このあと、洗濯とアイロンも予定しているが
アイロンはエアコンをかけてやりたいのでまだ手を付けていない。

普段の土日はエアコンを朝から緩くかけっぱなしにして籠っているので
トイレに行くのも暑くて嫌とぼやく怠惰ぶりだが
いったんエアコンを消して
窓を全部開け放して(網戸はしてるけどね)作業を始めると
汗だくになり始めた頃合いから体が軽くなり
家の中を吹く風が心地よく感じられてくる。
昼ごはんも簡単にそのまま済ませ、
さてどうしたものかと考えた結果
汗だくのTシャツは着替えつつ
もうちょっとエアコンなしを楽しむことにした。

(ついでにビール飲んでも許されそうだが、まあやめとく)
部屋の温度は31度。
うーん、夏。これぞ夏。

と、ここで、今水分補給のために飲んでいるものを紹介してしまおう。
「塩レモンほうじ茶」
どこぞにレシピがあったわけではない。
塩分も補給したいと思ったときに
塩を入れるよりおいしそうだなと試してみた。
塩レモンとは、文字通り塩漬けにしたレモン。
部活でマネージャーが作って持ってくるのは砂糖やはちみつで漬けたものだが
調味料を塩に変えただけ。
「切って塩を大量に振って冷蔵庫に置いている保存調味料。
これが不思議なことに、何にトッピングしてもさわやか美味しいので癖になっている。
ラーメンにもうどんにも乗っけちゃう。
ごはんには乗せないけど。
ほれ、柑橘系の薬味だよ。柚子でもカボスでもなくレモンなだけ。
で、それをほうじ茶にポトッと入れるとあら不思議。
梅干しみたいな風味でさっぱり美味しい。

そもそも何でも混ぜてみるのが好きで
ずぼらの結果としてそうなってしまったものではあるが
今抹茶ラテと並んで人気のほうじ茶ラテなんて
商品化されるずっと以前から飲んでいる。
酸と牛乳みたいに分離して口当たりが悪くなるものは
「混ぜるな危険」と認識して、コップを新たにするのだけど
飲めるものと飲めるものは、それなりに納まると私は信じている。

しかし、話を元に戻すと
エアコンなしで汗かきながら座ってパソコンに向かっているのなんて
ほんとに何日ぶり?とりま今年は初めて。去年はしてないんじゃないか?
サウナ効果があったらもっといいなあ
なんて菓子を食べながら間違った期待をしている。


サイト内検索(イマイチ)..........
カスタム検索
 
プロフィール.........................
HN:
きの。
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
■モノカキ志望だけどハジカキの方が多そうなこの人生の「言い訳」や「いいわけ?」。

■隠し事下さい。ちゃう。書く仕事下さい。

■リンクは勝手にバンバンしてください。気がついたら黙ってこちらからお伺いします。
 URL:http://jura.blog.shinobi.jp/
 サイト名:KINO.blog
でお願いします。

■「KINO.blog」と同一または類似の名称のサイトは山ほどあるみたいですが、ここからリンクしていないサイトはどちらさまも私とは無縁です。
おすすめ.......................
アーカイブ.........................
携帯からもどうぞ
■Kino.BLOG
またのお越しをお待ちしております


忍者ブログ [PR]