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ほんとのこととか作り事とかいろいろ書いています。
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皮膚組織から心臓でも神経でも何でも作れちゃう方法を、京大が見っけたそうです・・・・。
 
いいんだかどうだか・・・

もしも自分の身内がって考えたら歓迎すべき技術なんだけど、

 
お金のある人は五体満足で生き続け
お金のない人は・・・

技術が一般化したら、

悪いところを抱えたままの人=貧しい

みたいな構図が出来て・・・・

ンで、先進国の人の寿命はさらに延びて・・・




いや。。。でも、もし自分の指が1本事故で切断されちゃったら
やっぱ元に戻りたいって思うわけで・・・


10年後くらいには、医療ってどうなってるんでしょね 


てか、人間を複製できるようになった頃には
地球が・・・・

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食べ物だの建材だの、すっかり嘘八百な国日本です。


特に不思議なんだけど、何でミスタードーナツって、不祥事を繰り返し繰り返し起してるのに平然と営業しているの。。。。?
わたしは子供の頃あそこのドーナツが好きで好きで、3食ミスドでもいいよって時期があったくらいなんだけど、はじめに不祥事が発覚したときに食べるのをやめてしまった。
もう3回目くらいじゃないのかな・・・・ニュースになるの。


毎朝、新聞のテレビ欄の裏にはおわびの社告がいくつか出てる。
もう見慣れちゃって、もしも重大なことが書いてあっても見逃してしまいそう。
そのなかで今日、ほほえましいお詫びが・・・・

大阪の神宗っていう昆布やさんの社告なんだけど、
昆布が不漁で、原料が充分確保できない。天然の原料を使っているだけにどうしようもないので、いくつかの店舗での販売をやめますとか。

いいよねーこれ。(神宗さんは災難なんだけど)
これがもし、「原料が確保できないので外国産の昆布を使用します」っていう社告だったら、確実に客が離れる。
この、「国産昆布使用って線は譲れないんだよ」っていう社告に、品質へのこだわりみたいなのを感じます。

HPにはまだ社告出てない。。

それよりも一度ここの昆布の佃煮食べてみたいw
・戦争に行かなくてすむ年寄りが、戦争に参加したがる理由は何?
 人の命を左右する神の楽しみ?
 最前線で土ぼこりの中で戦う意思のあるやつだけが
 改憲を口にしていい。



・殺人の意思はなかったと弁護団。
 用意周到に侵入して、赤ん坊の首に紐をかけたことは、
 殺人の意思がなかったと言えるのか?
 赤ん坊の報復を恐れての正当防衛ですか?は?
 少年法は子どもに適用されるべきであり、
 法律上未成年であっても、強姦なんて子どものすることじゃないだろ。
 18歳でも14歳でも「やっちゃったら大人」でいいじゃんか。
 弁護団、ファックされとけ。。。。
 それに、法廷で「命を以っても償う」と被告は涙したらしいが、

 自分の命を簡単に投げ出すというやつは、
 人の命も簡単に絶てると思う。
 命の重さに対する観念が薄い。
 つまり、罪に対する責任感もそれに準じる。

 ハイハイ、死ねばいいんだろ死ねば。
 どーせ未成年だから死刑にはならないけどねー♪
 そういう、彼の背骨の中の笑い。


・「こんにゃくゼリー」じゃなくて「こんにゃく餅」と名前を変え、
 ところてんの形状で売るべし。
 あれってさあ、絶対誰でも、
 容器のお尻をつまんでツルンと口に放り込みたくなる。
 手を汚したくないからね。
 

・明日大雨だって・・・。
 今日の休みがうれしいような明日とチェンジしたいような。。。。




 
エキスポ遊園地の事件の報道で、
壊れて停止している車両の写真とか、何にどうやってぶつかったかという報道内容から察して、被害に遭われた方がどうなってしまったかというのは安易に想像出来ることです。
が、報道も誰もおおっぴらな場では口に出さない。とても出せない。
被害の詳細も、巻き込まれてしまった地上の人々のパニックについても
「ソーシャルな場ではとても出せない状況」だったのでしょう。

だけど、そういう映像は、映画やゲームや漫画では、よく出てくる。
某サイト様のオリジナル漫画でも何度も。
どこにツボがあるのかわからなくて苦労したのですが、それでよかったと今思ってます。

残虐なものを見せるかどうか―
外国で人気のある日本のアニメですが、先日TVで紹介されていたところによると、例えば米国での『遊戯王』っていう、日本では小学生に人気の番組の場合、独白シーンで、「闘志を燃やす人物が拳で鏡を殴り、めりめりと蜘蛛の巣状に鏡が割れ、破片を握った手から血がたらりと一筋流れる」という、日本で放送された原作に対して編集が加えられます。
放送されるシーンは、鏡は殴りません。当然割れません。破片も握らず血も出ません。
子どもが真似してはいけないと思われる部分が、日本ではいかに不用意に流されているかがわかります。たった10秒あるかないかのシーンでそれだけの量です。
新聞やニュースでは、人に不快な印象を与える表現はなるべく避けられます。今回の報道の仕方もそれだと思われますが、もしも、包み隠さず詳細が伝えられてたらどうなっていたでしょうか。
気持ちが悪くなった人も多いだろうけど、喜んだ人も結構いたんじゃないかと思います。
実際そういう画像ばかり好んで集める人や、見てみたいと思う人が今の若い人を中心に沢山いるようです。アンダーなサイトやファイル交換の世界では、そういうものを普通に見かけるのです。
戦争を体験している人たちは、いろんなものを目にしてしまっているので、たぶん「興味」は持たないと思います。今の人は、何も見たことがないから、映像を実際に重ねあわせて考えることもないし、それ以上に、実際にあっても怖いと思わなかったりするのでしょう。
これほどに感覚が麻痺してしまって、本当にいいのでしょうか?
戦争が始まったときに、平気で敵を殺せる戦士を育てるにはうってつけの環境かもしれない。
嫌な方向へ日本は流れてます。

想像していた惨事を、噂が肯定してくれたおかげで、思い起こすたびに吐き気がして、切なくなってどうしようもありません。
現場にいた人はさぞやと思っていたら、昨日の朝日の大阪版の夕刊に、見てしまった人の心のダメージが激しいので、ケアの対策が始まったと大きな記事が出ていました。怪我がなかったのに救急車で運ばれた人たちをはじめとする、第二の被害者の人たちです。
きっと彼らはこの先、人を見ても、漫画を見ても、映画を見ても、激しい吐き気と嫌悪感に苛まれる。記憶を消さない限り、ケアなんて無理ではないかと思います。
悲惨な場面に遭遇してショックを受けることが、人間の本来の反応の仕方であるのなら、日本のゲームやアニメの描写について、やはり考え直すべきなのではないでしょうか。
日本のアニメーションの質は、漫画にしろ、ゲームソフトにしろ、本当に高い。だけど、それだけに、内容についても、もっと注意を払って吟味し高めていくべきではないのでしょうか。


※追記
日本には昔、斬首して街中に晒すという刑がありました。また、それよりも昔の古典文学には、残虐な描写は普通に登場し、昔の人は私ほどもそういうものに対する嫌悪感は抱いていなかったとも推測されます。だから「きのったら過剰反応してるんじゃないの?」っていうひとがいても不思議じゃないです。「どっちかというと人の被害をネタにするきののほうが悪いんじゃない?」という意見もあるかも知れませんね。
親殺しが多いですね。
親が自分の時間や気持ちを犠牲にして自分を育てたなんて、
当の本人は知らないからね。
むごいね。

で、子どもを殺す親もむごい。
相手が抵抗できない弱者であるだけに卑怯。


「赤ちゃんポスト」
赤ちゃんを産み捨てた母親が、よくニュースになってるけど、そういう殺し方をする母親は、ポストがあってもやっぱり同じように遺棄するんだと思う。
止むに止まれず捨てる母親が利用することになるんだろうけど、熊本まで行けるなら思いとどまれというのはムリなのか?
まあ経済的事情とかあるんだろうけど、だいたい、やっちゃった出来ちゃった捨てちゃったって、そのたび後悔すれば許されるという感覚がおかしい。男と関係持たなきゃ出来ないんだから、楽しんで出来ちゃったなら自分で育てろ。
そうやって考えていくと、犯罪に巻き込まれて、生む羽目になった場合、それは育てろというのも可哀相だよね。親子とも幸せな気持ちになれない。そういう人か、ポストを使っても許される人って。
だけどフクザツ。
うちの家族(♂)は、「捨てた親も楽になんかなれない。一生心の傷になる」というけれど、それは貞操観念があって子どもの養育に責任を感じる人の考え方。
産み捨ててるやつは後悔なんかしてないと思うなあ。始末が面倒だと思うことはあってもね。

「スノボ中に火事」
年末の痛々しかった事件。
12月30日、母親が2歳の子をアパートの部屋に残して早朝から日帰りでスノボに出かけ、帰ってきたら部屋が火の海で子どもが焼死。
報道されたのは母親の若さと、子どもを一人置いて遊びに出かけた無責任さだった。どうせいつもそうやって子どもを放置しているのだろうと決め付けて、わたしも随分怒りを感じた。
今朝の朝日新聞でその母親について詳しく書いていた。
夫に逃げられ、人の助けを借りずに子どもと2人暮らし。昼間子どもと過ごせるように夜から朝の時間に飲食店の厨房で働いた。そうやって寝ている子どもを家に置いて働いても、怪我もせずうまくいっていた。それで3年ぶりに、息抜きのつもりで子どもの食事を置いて、暖をとるコタツもつけてスノボに出かけたらしい。
「1日くらい」
ところが「たったの1日」も彼女は許されなかったわけだ。
望んで若くして結婚し、母子だけ取り残され、それでも実家に頼らずに生活して行こうとしたことは、適切ではなかったところもあるが、立派である。大学生の年頃で、そんな苦労をしょってたわけだし。
1日くらいわたしも休ませてあげたいとは思う。
託児所付きのスキー場に行けばよかったという声もあるが、彼女の収入ではたぶんそんな贅沢は許されなかったのだろう。
1日くらいも休めない。
子を持つということはそういうことである。
彼女はそれまでちゃんと子どもの世話をしていたことから、同情の余地があるとして不起訴になった。
だけどたぶん、彼女は救われないだろう。
長い一日が年を越して、まだ続いていることだろう。
愛知県知事って、本当のアホじゃないのか。

ハンディキャップのある人たちのことを、
「弱い悪い遺伝子をもった方」
といったらしい。
しかも、ハンディキャップのある人たちを気遣った言い方をしたつもりだったらしい。

これはものすごい差別発言で、遺伝子レベルまでも遡って人の尊厳を傷つける、はっきり言って、相手の、生物としての存在をも否定するに値する発言である。
近年、「ハンディキャップのある人たちのそのハンディを個性と受け入れ、健勝者と障害者が役割分担をし助け合って社会を形成する」という考え方において、教育がされてきたのではないのか?
障害者(健勝者から見た)も立派な一人の人間であり、同じ重さの人権を持ち、一緒に生活することが理想とされていて、この春から小学校の教壇に立つ乙武氏は、それを生身で教えるためにスポーツジャーナリストから一歩踏み出したのではないか。
彼は自分を「障害者」とは全然思っていないはずである。
多くの人から見れば、彼の体型は不便極まりなくさぞ不自由だろうとおもわれるが、彼は彼の体型を少しもハンディと思っていない。彼の両親が彼を哀れまず、一人前の人として扱い育ててきたおかげで、彼はほとんどの生活を自発行動でこなす。社会に存在するモノは、四肢を生やした標準体型に合わせて作られているから、中には彼が自力で扱えないモノもあるであろう。しかし、そのときは普通に人の手を借りればいいのだ。背の低い人が「あそこにある物をとって」と他の人に頼んだり、握力の弱い人が「ビンのふたを開けて」と頼んだりするのと同じである。それをいちいち「ハンディキャップ」と捉えることが、差別の始まりなのである。

遺伝子を弱いとか悪いとか言うことが差別につながるということは、なにも今更言い始めたことではない。病気の究明が進むとともに、「遺伝病」といわれる病気が明らかになり、たとえば現在多くいる糖尿病を持つ人々は、「遺伝病」といわれることを大変恐れている。結婚や就職などの際、病気を理由に差別を受けることが想定されるからだ。遺伝子でその人を判断することは、どうしようもないその人の「生物学上の人生」に他人が評価を下すことと同じで、たいへんむごいことである。「お前の母ちゃんでべそ」(昨日に引き続き登場。この言葉はなかなか奥が深いかもしれない)が笑い話ではすまなくなる。

ほんと、愛知県知事アホ。
本人にきいてみたい。
「あなたの馬鹿な発言は、あなた個人の脳の悪さによるものですか。それともあなたの持つ遺伝子のせいですか」

「遺伝子が悪い」とは、孫子の代まで祟られる言葉である。


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■モノカキ志望だけどハジカキの方が多そうなこの人生の「言い訳」や「いいわけ?」。

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